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2021年12月19日

大阪ビル放火事件

最近の大事件、大阪ビル放火事件
ある1人の男の厄介な行動によって何人もの尊い命が一瞬にして奪われた。
今はただ院長西沢先生をはじめ皆さまの無事を祈るばかりである。
新聞記事による
通院していた患者さんの言葉。
「多くの働く人にとってこの場所は希望でした」
「親身になって丁寧に話を聞いてくれ優しく背中を押してくれたとても良い先生でした」
先生の言葉。
「生まれ持った病気があっても投薬治療で社会に復帰できるようになりますよ」
「もともと産業医をしていたけれど働いている人が精神的に苦しくなっても夜間に行けるクリニックがほとんどないと感じていたんです」
人は心と体で日々生活している。
心がそれを宿した体を操って生きている

したがって体の不調はほぼ心の不調から起こる。
心には表の心と隠れた心がある
表の心は、人が見てこの人はこんな人なんだなとか、あるいは自分が他人や取り巻く社会にこう思われたいなと願うう心などである。
隠れた心 それは自分自身なんとなくその存在を気づきはするが、正確には認識不能のものである。
ある意味、本能とでも言おうか。
禅 茶道 武士道はこの隠れた心を注目する道である。
何方をとっても、大切な心である。
実はこの表の心と隠れた心の不調和が病気を引き起こす
二つの心が体をこう操りたいと願う意思があまりにも乖離していると体に不調をきたす。
当たり前だが体は一つなのだから。はたしてどれだけの人がこ単純な原則を理解しているか?
院長西沢先生はまさにこの人間の心を読み、不調に治療を施す先生であったのではないか。
現代医療には大きな過ちがある、最近特にそれを感じる。
それは人の病をデータとして治療する面がほぼ大半を占めていることにある

つまり表面上の現象に重点を置き、心を視ることを軽視する傾向があるのではないか。
これは結局、総じて、現代世相において、人々がこの隠れた心を軽視し、あるいは意図的に無視する傾向を示していることに他ならない。
上述した患者様の声から推測すると、
西沢先生は現代社会において今最も望まれている医師像であるような気がする。
心のクリニック、もっと多くあって当たり前の様な気がする。
現代社会もまた、この表裏の原則から成り立っている。
その不調からいつも大きな過ちを犯し続ける

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