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2026年03月08日

40年ぶりの広島

先週の連休を利用して親しい旧友の誘いもあり、実に40年ぶりに広島を訪れました。

私は広島大学を卒業しているので、その日は広島大学歯学部40周年記念講演がありまた同時に18期生の同窓会もあったのです。

当時東京と広島間に新幹線はありましたが、5時間20分くらいが最短でしたが今はなんと4時間25分。

約一時間も短縮されたんですね。

しかし、この歳になると4時間も同じ姿勢で座っていることがいかに大変なことか、腰が痛くて仕方がありませんでした。

さて、広島駅に着いたら最初に行こうと思っていた自分の当時の下宿先。

今どうなってるだろう。

そんなことで、バスに乗り込もうと思いましたが、なかなかバス停までたどりつけない。

駅から外へ出ることができないのですね。

駅がまさに国際都市広島を象徴するように、何階にもなっていて、今自分がどこに居るのかがさっぱり分からない、まるで浦島太郎気分ですね。

そこで、ちょっと思いました。

とにかくかえって、私には不便に感じるわけです。

このように莫大な費用をかけて、近代的な建物を建て続けることが、果たして今の日本にふさわしいのだろうか?と。

本当の便利さというものを、少し考え違いされているのではないだろうか。

もっと簡単なことを言います。

人口減少著しく、労働人口も減っていくこの日本に、果たしてこれだけのお金のかかる施設が、必要なのだろうか。

そう考えざるをえません。

さて、バスに乗り、自分の6年間青春時代を過ごした下宿先に向かいます。

当たり前でした、もう建物も何もないです。通った銭湯もありません。

かろうじて隣接するガソリンスタンドと公園は昔のままでした。

この時、今も変わらない公園のベンチに座り、あんぱんをかじりながら、なぜかすごく泣いてしまいました。

声を出して泣いてしまった。

なぜ真っ先にここへ来たのだろう。君は 昔の自分に会いたかったのか?そこに今もいると思っていたのか?  その馬鹿さ加減が今も昔とちっとも変っていませんな。

その後の、同窓会においては、57名の卒業生のうち集まったのは20名。

当時よく、話をした人というのは、ごく一部の出席番号の近い人たちだけであって、それ以外の方とはそんなに共通の話題はありません。

みんな歳を取って、面影はあるけど、ずいぶん変わっていて、きっと私もそう思われているのかなと思います。

歳をとるというのは、ある意味残酷かなと、正直思いました。

次の日に 朝早く起きて平和祈念公園を散策し、船に乗って河から宮島へ向かいました。

平和記念公園は昔とほとんど変わらない景色と、この世から原子爆弾がなくなるまでこの火を消さないと誓った、その灯が、今でも燃えています。

慰霊碑の前では、老若男女、必ずこうべを垂れ手を合わせる風景が、非常に愛おしく感じます。

その石碑の中に。

と記されています。

広島では、あの原子爆弾により無差別に、一般の市民が、一瞬にして命を絶たれた。

国を守る 人を守る 財産を守る、という大儀の下で戦争というものは結局弱い人たちの命を奪っていく。

亡くなったその方々は、はたして今の日本を どう感じているのであろうか。

私たちは本当に過去から学んできたのだろうか。

楽しいブログで本来難しいお話はしたくありませんが、私が過ごした青春時代は美しい広島にありました。

そう考えたときに、いつもこのことだけは、心に問続けてているのです。

人も街も次の世代へと引き継がれ、希望をもって大きく変貌を遂げていく、そのことはとても素晴らしいこと。

しかし如何に年月を経ようと、変えてははならないもの、引き継いでいかなくてはならないものが必ず存在する。

このことを決して忘れてはならない。

そう思うのです。

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