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2025年03月29日

国を代表するものとして

春が訪れ、菜の花の黄色が、眠っていた冬の感情に一筋の暖かな雪解けの機運となり脳にしみこんでく

花に乱舞するミツバチをじっと見入る時間ほど改めて平和を考えることはない。

先頃のトランプ大統領とレジェンスキー大統領のいわゆる激しい口論になった会談。 

これは世界の人々に大きな衝撃を与えたのではないだろうか?

ロシアによるウクライナ侵攻。これを世界の人々は果たしてどう見ているのか?

もちろんその国にはその国の文化 考え方 生活 歴史習慣 あるいは人種がもつ根本的な特質性格 色々とあるのは当然。

1つの考えだけを想像のまま押し付けるのは極めて無礼。

しかしながら、明らかに間違っていることが1つだけある気がする。

大統領というのは国のトップであり、国民の代表である。

もちろん守るべきものはたくさんあるだろう。

国境 国の権利 国民の財産生命 生活 経済。あらゆるものにその義務が及ぶはずである。 

しかしここで最も守らなければならないもの。

それは国民の生命である。

ロシアから侵攻を受けた直後のレジェンスキー大統領の判断は明らかにこれを単純に犯している。

おそらくご本人は、今となってその愚かなかつ取り返しのつかない過去の判断に戸惑っているのでは。

例えば冷静に考えてみて家の中に武器を持った悪人が入ってきたら、どうか家族の命だけは助けてくれと武器を持たぬ主人は懇願してしかるべきでおろう。 

ロシアという軍事的に強大な国が本当に自国に攻めてきた時に、私はその時点で白旗をあげて、一人の生命も失われないように願い実行することが当然であったと思う。

たとえ民衆の感情がこの野郎と悔しく思っても、やはり戦いをしてしまったら、それを終わらせるのがとても難しく、なおかつ何人もの無駄な命の犠牲を伴うのは明らかである。

今後、どのように停戦をするのかはわからないけれども、人の命がかかったこの事態に対して、トップが喧嘩をするような軽々しいものではありえないと私は思うのだが、皆さんはどう感じられただろうか?

力を持ち始めると人は好きな戦いを必ずはじめる、これは決して絶えることのない事実だ。

しかし、武器をもち戦うことには何の結果も得られない。

残るのは数々の失われる命と、積み重ねられる憎しみ以外には何も残らない。 

平和に暮らす、家族や仲間、恋人同士の悲しすぎる分断意外に、結果はありえない。

小学生でも想像できる結末をなぜ最初に理解できないのか?

そこにいつも疑問を抱く。

戦いは、いつも他人を盾にしているからだ と そう思う。

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