ブログ
経営学とは。
私も約15年前まえ、順調に患者さんが増え、どうにも仕事がつらくなった時がありました。
もう一人先生を雇用し、診療室も拡大し、そんな短絡的な非常に稚拙な考えに陥ってしまうものです
その際に、経営に関してのある講義を聴き、そこである教本の感想を当時このように記しています。
事業の拡大は、自分にとっていかなる意味が存在するのか?
「経営者の役割」この書籍を精読し終え、いわゆる「企業・会社」とはどんなものなのかを考えてみた。
大まかな目線で見て現代社会における企業とはなにか。
それは一つのある意志の塊で、なにがしかに一定の投資を行ない、労働を行い、見合った報酬を得る。これにほぼ相違はない気がする。
では、ビッグバンのように巨大化する企業・一瞬にして消えてしまう企業・一つのものとして売却されてしまう企業・どんな時勢にあってもその波を乗り越え、永く営みを続けられる企業・
その営みと経過 規模 そして継続性、その他種々の違いが生じてくるのはなぜか。その差はどこにあるのだろうか?
経営者の違いなのか、社員の優劣なのか、単に時勢によるものなのか、単にシステムの違いなのだろうか。
そしていわゆる優秀な企業。そうでない企業、その差はどこにあるのだろうか。
私は学生の頃、いくつかのアルバイトをしたことがある。もちろん、その時得られた報酬は単純に私の汗であると言う以外、どこから来ているのか、そんなところまで考えたことはなかった。
実は世の中のほとんどの企業の社員は、自分の頂く報酬がどのように得られて自分の財布の中にまで来るか?これを考えたことがある人はおそらくいないのではないだろうか。
ある時期、私のアルバイト先の一つに、近所の歯科医院がある。そこは院長、いわゆる経営者が一人、あとはすべて社員である。すべて社員といってもたかが十数人の小さな企業体である。そこに患者として通っていた私が、直接院長からバイトを誘われたのであった。
そこは今まで行った仕事場とはやや違った感覚があった。
何と表現したらよいのか。
皆が個々に責任を持って、自立して仕事をしているように見える。
もちろん、社員同士のトラブルなどもないし、院長との関係もおそらく良好であろうと感じる。他の仕事場との違いは何だろう、この感覚は一体何なのだろうか。
今回縁がありこの本を読み、改めてその違いを考えるようになった。
それはおそらく経営者と社員の物理的、感覚的な距離なのかなと考える。
経営者がある意思、希望、を持った時にその顔色さえすぐ社員は気付く。逆に一方的ではなく、社員の顔色も経営者である院長は毎日その場で見ることができる。
そして、患者さんの満足した顔、不満な顔、それもすべて、目に見える形で存在する。
おそらくこの近接した関係性が何か私に今まで働いた場所との違いを大きく感じさせたのかもしれない。
そこで大企業を考えてみよう。もしも自分の得る報酬がどから来るかも考えず、したがって際立った感謝も達成感もない。ただ日々与えられた仕事をマニュアル通りにこなす。
経営者もまた、個々の社員の気持ちや情勢など気づかずに。ただ。現社会での企業の安泰だけを考える。果たしてそのような集合体が永久に存続していけるのだろうか?
昨今のデパートのストライキ事件 大企業の売却 コロナ禍における企業の倒産。これらの結果を生み出した大きな原因のひとつとして、経営者とそこに働く社員との距離と、意思の疎通と隔たりに大きな問題を抱えていたのではないか。
経営者と社員の共通する、ある希望や意志を失った企業は、どんなに歴史のある大企業でも、必ずや衰退をたどり、売却などという心のない、一つのものとして扱われてしまう。
ここである映像のシーンを思い出す。
テレビでよく放映される「釣りバカ日誌」の社長であるスーさんは。ある場面でこのようなことを口にする。
中小企業コンサルティング会社の社員が人員削減を提案する。
その際にはっきりこう切り出す
「自分の可愛い社員をポイポイと首を切られてたまるか」と。
なにも特別立派な言葉ではないが、経営者としての心得を十分に持たれているのではないかと誰もが同意する。
またこの言葉を聞いた社員はどんな感情を持つだろうか。
私だったら一瞬で愕然と今までの自分を反省し、明日からは改めて労働により一層いそしむであろう。
また最近観た映画で「マイインターン」という映画の中で。
ネット販売から始まった企業がマス化し、仕舞に一人歩きをし、女性社長は手に負えなくなった。
社長は売却を考える。
しかし、そこの一社員である定年後の社員が強く社長にアドバイスする。
今もなお社員と同じ部屋で働き、目に見えないお客様一人一人のために、丁寧な包装などをして、物品を梱包する社長を視て。
そういうあなたの姿を見て私は思うよ、
「会社を売る必要などない、あなたの心を売る必要はない」と
この一言は逆に立派な社員の心得なのだろうか。
企業は大きな意思を持っていて、あたかも一つの塊、固体の様に見えるけれども、その中には経営者も含めた人と人とのつながりがあり、それは一方通行ではなく、相互に網の目のように常に循環している、
それが優秀な企業であろう。
経営者はその流れを末端まで統率し、人々をまとめる仕事を、すべての社員またもっと言うならば社会全体から託されているのである。
私は今小さいながらも歯科医院の院長となる立場にいますが。企業の経営者と社員の意志、それをうまく循環させ、アドバイスをし、決して意志のない単なる固体として扱われる歯科医院にならぬよう努力を怠らないつもりである。
こんな混迷した時期もありましたが、今素直に思いますのは、私は、大きなスーパーよりも小さなお豆腐やさん、大きなどこにでもあるレストランより、街の小さなレストラン。
そこに存在し続けているその小さな意志がとても貴重で尊いと感じているのだが、皆さんはいかがであろうか? 佐藤 敦