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2025年05月05日

生きてゆくということ

皆さんご存知でしょうか?

今から約30年前は人が癌になった時、本人には絶対に告知してはならないというのが大原則であったこと。

今は全て詳細にその人の病状を本人に伝えるのが常識になっていますが、それを考えると30年前の告知をしなかったということが夢のことのようです。

ではなぜ癌という病気を患った人に あなたは癌ですよ と言わなかったのは、やはり根本に癌という病気が不治の病で5年間生き延びられる確率が50% 以下であったから、これが大きな理由であったと考えられます。

簡単に言いますと、癌の告知は死の宣告だったわけです。

私もちょうどその頃に慶応病院の口腔外科というところに在籍しておりまして、口腔外科というところは非常にお医者さんに近い仕事をするわけで、例えば舌癌など、そういう悪性腫瘍などもたくさん加療していたわけです。

癌を告知してはいけないということであるので、それはもう大変です。

カルテを絶対見られないようにしなければいけない。患者さんの前での会話では癌であることを想像するような言葉遣いは一切禁止。自分の病状を知りたいとどれだけ懇願されても、笑いながら何を言ってるんですか?きっと退院できますよと大嘘をつかなければならなかった。

医師側としての苦痛は、何と言っても嘘をつかなければいけない。

その罪悪感が元で奇跡を信じてどこまでも加療せねばならない。

例え眼を取っても舌を取っても気管を切開しても心臓を止めてはならない。

次第に延命だけに目が行き、患者の心やその家族、そして各々の患者さんのとっての生きるということの意味を問うのを忘れていくのです。

がんも末期になればその戦いは壮絶です。昼夜問わず、常に心臓の動きを止めてはならない。食べられなければ胃に外から穴を開け食事を流し込み、点滴で栄養を取らせる。

呼吸ができなくなれば、喉を切開し管を入れ酸素を送る。

当時私はそれが仕方ない現状なんだと、おそらく今後も癌は告知されずに行くのかなと。

疑問を大きく感じながらも諦めていた部分もありました。

しかしどうでしょう?あれよあれよといつの間にか全ての病状を患者さんに説明し、それが常識となってきました。

これは医療というものの中での根本から大きく変化を与えた出来事ではなっかたと思います。 

こんなワンシーンの思い出します。私が研修医であったころのこと、

20歳過ぎの女性が骨肉腫という悪性の腫瘍を患い手術をしましたが転移を起こし完治は望めない状態でした。もちろん告知はできません。

主治医は何度聞かれても悪性のものではない治るからと説明したわけです。

いよいよ最期の時を迎え、当時は携帯電話はありません。ポケベルで呼ばれた主治医の先生は最後の蘇生を懸命に行います。

分かっていながらそれでも嘘をつき通した自分への後悔や無念さもあってか主治医も別人のように必死です。

いよいよ心臓が止まりかけた時に、その若き女性の口から最後に出た言葉は

やっぱり先生は嘘をついていたんですね。

その主治医の先生はとても心優しく立派な先生でした。おそらく心の中に1つ大きな重たいものを抱え込んで、今でもいらっしゃるのではないかと思います。

もしもあの時、告知する時代であったならば、おそらくもっと無理なく寄り添える、患者さんとの関係があったのではないだろうかと、

2人の顔を思い出すたびに私もまた涙するのです。

生きるということは人それぞれ価値観が違い一様ではありません。

しかし最期、しっかり自分の死に向き合うこともまた大切な生き方の一つであると思うのですが。

そのような良い時代になりました。

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