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2025年07月21日

夏の一節

暑い毎日が続きます 、夏です。

夏休みが近くなるといつも想うのは私の田舎、山形への里帰りです。

父親が 鉄道関係の仕事をしていたため台風が多いこの季節、家族でどこかへ旅行するということはありえませんでした。  そこで父を一人残して母と姉と3人で両親の実家のある山形へ帰るのでした。

しかし父一人を残してそう何日も家を空けるわけにはいかない 訳で、せいぜい 2泊3日の里帰りです 。しかしこのお盆の里帰りは当時 私にとって1年の中で唯一とても楽しい時間でした。

上野からやまばと 号に乗って楽しい電車旅です 。

一時も 外の景色を見逃すまいと毎回 窓際のガラス窓にかじりつき じっと外を眺める そんな子供でした。

駅を降りると、都会より涼しい、それは街中に雪解け水が流れる水路があるからです。

母方の家は、そんな水路沿い、開きのドアがある昔の家でした。

四方を山々が囲みそれは美しい街です。

夏の代表的なお祭りは花笠まつり。

母から手を引かれ離れまいと花笠を見る余裕などなく、小さな私はただ雑踏の中から差し込む朱色の美しい光と賑やかなお囃子に翻弄されるのでした。

時々、いまはもう逝ってしまった父母がその祭りの朱色の中に今もいる気がするのです。

幾重にも重なる踊り子の先の歩道にいてこちらを見ている気がするのです。

 

当時の 私の家族は核家族 、新興住宅地に一軒家を構え いわゆる 昔ながらの祖父母 が一緒に同居するような大きな家ではありませんでした。

  田舎に帰ると大きな家に兄弟が皆 同居しており祖父祖母 大家族の有様が私にとっては非常にまれに見えたものです 、しかし賑やかで温かかった。

今にして想うこと、 自分の性格 生き方 人に対する接し方 感情 感受性 全てが山形の 人情の厚い 親戚からの贈り物であるに違いないと。

本当の愛情を持って あっちゃん あっちゃんと可愛がってもらえたことが 心のどこかに その時の暖かい感情とともに今も面々と流れているのです。

あれからもう50年余りの年月が流れ 当時 失うと想像しえなかった叔父叔母、いとこのお兄さんは今はもういません。

あー、私は何のお礼もできずに別れてしまいました。

なぜいつも涙が溢れるのだろう。

ありがとうございました。

人には色々な感情があってしかるべき、 ある時は人に言えないような 醜い感情、怒り等々、しかし私はこの山形の人たちから受けた愛情を思い起こす度に、できるだけ 正直で素直で真っ当な人間でありたいといつも思うのです 。   

いままで断片的に頭に引っかかていたものをやっと文字にできました。                                   佐藤 敦

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