ブログ

2021年02月16日

この早春に想うこと

IMG_2358sousyunn.jpg
最近読んだ本の中に読み返す度に目頭を熱くしてしまう一節がある。
書籍、無農薬栽培ガイドのあとがきの中にある。
著者の大内氏は福島県二本松市生まれ、二本松有機農業研究会代表として60年間にわたり農業一筋の方である。
時に2011年3月11日、福島をあの東日本大震災が襲った。
続く原発事故の影響で放射能検査の結果、ほうれん草と牛乳が出荷停止となった。
その際大内氏がこの様な体験を記している。
私の畑のほうれん草も汚染されました、これから福島の地で農業を続けられるだろうか大きな不安の中でほうれん草畑に行くと、
元気に育っています。
畑に立っている私にほうれん草の叫び声が聞こえてきました。
「私たちは葉を精一杯広げて降ってくる放射能を受け止め土を守ったのよ」
ほうれん草は人間においしいと言って食べてもらいたかったろうに、我が身を犠牲にして地を守ったと言っている。
私はほうれん草がいとおしくなりました。
このほうれん草の思いを無駄にはできません、私はほうれん草を根こそぎ抜いて人が来ない空き地に捨てました。
軽トラック10台分です。
その後2月に種を蒔いたほうれん草から芽が出てきました。4月末に大きく育ってから放射能検査を行うとなんとほとんど検出されません。
この頃から私は気づきました、豊かな土地であれば植物は放射能セシウムを見分け、必要な養分のみ吸収する能力をもっていると思ったのです。

これを読んだ時、私はある種の衝撃を受けた。
こんなことを感じる人間がいるのかと。
こんな感情が存在するのかと。
幸も不幸も人間中心になりがちな世の中で、
あの時、間違いなく、福島で例え様のない悲しみが、すべての生きとし生けるものに降り注いだのだと。
私にはこの現実が欠如していた。
そして植物、動物、生きとし生けるもの全てがつながり互いに支え合い生きていたのただと。
都会で生活する人々には、もはや想像を超える現実ではないのか。
それでもその電気を使用する。
振り返り、もし自分が同じようにその青空の下のほうれん草畑を見たとしたら、
同じ事を感じることができるのだろうか?
ほうれん草の叫びが聞こえるだろうか?
そして軽トラック10台分を前に号泣するだろうか?

脱炭素 脱原発 国民にとっては上の空。
実はもっとごく身近なところに、悲しみを繰り返すことのない世の中を創るヒントがある気がしてならない。

いいねいいね
読み込み中...