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2024年03月03日
なぜに白衣を捨てるのか?
幼いころから脳裏に焼き付き消えない光景と感情が一筋の光となっていまでも私を導いている。
幼かったころから近所の内科にことあるごとにお世話になっていた。
そこはいわゆる町医者の医院で床は木造、歩けば軋み薄暗さと言ったら到底今の医院の待合とは比較にならない。
診察室に入ると、そこには白衣を纏った医師が大きな机を前にして、ひじ掛けのついた椅子に腰かけている。
寡黙で、幼子をあやす意味合いの言葉など終ぞ聞くことはなかったが、
背の高い医師の視線を前にしては
私はただ姿勢を正し伏目勝ちに正直な視線を返すことがなせるすべてなのであった。
医師は幼いお嬢さんを病気で亡くしている
実に物静かで、言葉少ない方の印象であったが、触診時の手の暖かさと、悠然かつ繊細な動作、心までも見透かされたかと思える視線。
以来私は、白衣を前にしては、いい加減さも、嘘に満ちた返答も、まして駄々をこねて泣くなどそんなごまかしは全く不可能に感じ、極度の緊張の中にあるにも関わらず、安心感に包まれた本当に正直な自分を感じていたのであった。
以来この光景のすべてが私の希望のすべてであり続けている。
今、白衣を着た私を前にして、患者さんはだれにも話せない悩み苦しみ、それに嬉しい自慢話
なんでもそのものをお話いただける。
だから、全く普段は仕方がない私でも、白衣を纏うことでともに悩んだり喜んだりできる。
白衣とは無垢な人と人を結びつける。
だから、流行りの色付きの白衣はどうしても着れない。
幼いころから脳裏に焼き付き消えない光景と感情が一筋の光となって今でも私を導いている。
暗い永い廊下の先の一筋の光が私をどこまでも導いている。
佐藤 敦